“お爺さんの忘れもの”
昭和41年11月号


 のんきものの吾作爺さんは、この世にいるときから、たいへん天国にあこがれておりました。
神さまもそのことをよく知っておりましたので、この秋、爺さんが死んだと聞くとすぐ、天国へお呼びになられました。
けれどすぐ天国へ入れてくれるわけではありません。
天国へはいれる資格があるかどうか、一度調べなければならないのです。
神さまはいろいろなことを吾作爺さんにたずねました。
「どうかね、こどものころはいじめっ子じゃなかったかね。」
「いやー、いたっておとなしい方で………。」
「若いころは遊びあるいて、親不孝をしたんだろう。」
「いやー、そんなことはねえ………。」
「世帯を持ってから、おかみさんをさんざん泣かせたんじゃないかね?」
「とんでもねえこった!」
「それでは最後に聞くが、爺さん、あんたは心を持ってなさるかね。」
「え!何だって。」
「心じゃよ、つまりハートを持ってるかと聞いているのじゃ。」
「そりゃ持ってるだ、持ってなけりゃ、人間でねえ………。」
「それでは、それを見せてくださらんかね、心が汚れていては、天国へ入れるわけにはいかんのじゃ。」
 吾作爺さんは困ってしまいました。自身たっぷりに持っていますと答えてしまったのですが、考えてみたらいままで見たことがないのです。
あわてて、胸の辺や、頭をさすってみたのですが、どうもはっきりしません。まして手でつかんでとり出して見せるなんて、まったく弱りはててしまいました。
もしかすると、心があると思っていたのは間違いで、本当はなかったのかもしれません。吾作爺さんももじもじし始めました。
「神さま、どうも、申しわけねえことをしちまっただ。どうも家へ忘れてきたような気がするで、ちょっくら待ってくださらんか。」
爺さんは神さまにひまをもらうと、急いで家へ帰ってきました。
「お婆さんや困っちまったよ。せっかく天国の入り口まで行ったらな、大事なもんを忘れちまっただ。」
「まあ、お爺さんたら、しょうがないねえ、そんな大事なときに、いったい何を忘れたんですよ、みっともない。」
「じつはな、神さまが、おらの心を見たいとおっしゃるんだ………。」
「心ですって!」
「そうなんだ。おら、うっかりしててな、まだ、おらの心をたしかめたことがなかっただ。たしか持ってるはずなんだが、じゃ出して見せなさいとくると、こりゃ、まったく見当もつかないんじゃよ。きっとおまえなら知っているだろうと、こう思ってな、いそいでひっかえしてきただが………。」
 さあ、お婆さんもこれには弱りました。お爺さんのいう通りです。見たことがないのです。
ともかく、いくら考えてみたところで時間がたつばかりです。ふたりは家じゅうを捜しはじめました。タンスの奥から、めったにあけたことのない押入れや、天井裏まで捜しましたが、どうもそれらしいものはとうとう見つかりませんでした。そのうちに神さまと約束した時間がきてしまいました。お爺さんはやむなく神さまのところへ戻りました。
「神さま、どうもみっともねえ話だが、どうしても見つからねえだ、かんにんしてくだせえ。」
すると神さまはにこにこしてこういいました。
「はっはっはっ………吾作爺さん、見つかるわけはないんじゃ。そこに、それ、そうやっている吾作爺さん、それがあんたの心なんだよ。魂なんだよ。だって、もうあんたは死んでいるんだからね、からだは、もうとっくのむかしに灰になっているもの。」
 人の悪い神さまが、人のよい爺さんをかついだという、むかしむかしのお話です。