沈んだ島
昭和52年6月号

 太平洋岸のある岬の先端から、数千米離れた沖合いに、今でも伝説の小島が海上に浮かんでいると云われている。
且ってその小島を中心にして千軒以上もの村があったと云われているから、相当大きな島があったに違いない。ところが或日、突然起こった異変の為に海へ沈み、その小島だけが僅かに残ったのだと云う。その異変について、村の古老の話をお伝えしよう。
 それは、ひどい嵐が一晩吹き荒れた翌朝の事だった。うその様に晴れ上がった浜辺に、一人の男を乗せた舟が流れ着いた。男は息も絶えだえ死にかけていたが、村人の手厚い看護によって、一命をとりとめ、次第に元気を回復していった。ところがこの男、実は海賊の一味だった。村人に看護されている間、しきりと島の様子をきき出そうとしていた。転んでもただでは起きない盗賊根生とでも云おうか、稼ぎになる種が何かないかと、もう目を光らせていたのだった。
 その時、村人から聞いた話の中で、男が特に興味を示したのは、この島の社にまつわる伝説だった。島には昔から、山の頂きに漁の神をまつった社がたっているが、その社には《この社の狛犬の目が赤くなると島に異変がおこるから、日の暮れまでに一人残らず島から逃げ出すように》と云う古くからの云伝えがあり、島の人々は長い間それを信じて暮らして来たと云う。いや今でもそれを村人がまじめに信じているの聞いて男は深くうなづいたのだった。
 其の後男は体がすっかりと回復しても、村人の好意につけこんで島を去ろうとする気配を見せず、それどころか、島の若者と酒を汲み交わしては付き合いを深め、何事かをたくらんでる様子だった。果してそれから何日かが過ぎたある夜の事、男は若者達を誘うと、月明かりをたよりに社へ忍んで来た。一対の狛犬に近づくと、手にした筆に紅い絵の具を含ませると、その四つの目をことごとく真紅にぬりつぶしてしまったのだった。
 月あかりを浴びて、不気味に光るその赤い目を眺めて、若者達は背筋を何か冷たいものが走るのを感じた。しかし男は云った。
 「迷信さ、迷信だよ!石で造った狛犬の目が赤くなるなんてことがあるわけはないじゃないか、……さあ、これでよし。みんな、明日は面白くなるぞ!」
そういって去って行く男達の後姿を、狛犬の燃えるような真紅な目が、怒をこめて見つめていたのを、誰も気がつくものはなかった。
 そんな事とは夢にも知らない村の長は、あくる朝、いつもの様に日の出とともに社へ詣うでて仰天した。何百年もの永い間、何の異常もなかった狛犬の目が、今朝に限って真紅に輝いていたのだ。まるで何かを呪ってでもいるかの様に不気味に……。村の長は自分の目を疑って、何度もその目をこすって見たが、狛犬の目が赤いのは確かだった。
 「こりゃ大変なことになった。村の一大事じゃ。」
 ブォーブォーブォーためらう事なく、吹き始めたほら貝をもつ村長の手はふるえていた。島の危険を知らせるほらの音に、眠りを破られた村人は顔も洗わず、何事かと社に集って来た。
 「皆の衆、社の狛犬の目を見てくれ!御覧の通り神のお告げだ。永い間世話になったこの島をすてるには忍びないが、やはり云伝えは守らねばならぬ。さあみんな、日のくれぬ中にこの島から逃げてくれ!いいな出来るだけ早くだ。」
 男の云った通り、島は大混乱に陥ったが、人々は家族と最低の家財を舟に積みこむと、日の暮れる迄には殆どの人が島を離れて行った。もちろん流れついた男と、このいたづらに加わった若者たちは別だった。
 「おいみんなどうだい。思った通りになったろ!これで、島の財産は俺達のもんだ。さあお祝いに宴会だ!」
村長の家にあがりこんで、飲めや唄えで、日が暮れるのも忘れて大騒ぎをしていると、やがて、真暗になった島に不気味な地鳴りがおこった。はっと思う間もなく、島は大ゆれにゆれだした。あわてて一同が外へとび出したが、その時、島がもう沈みはじめていたのだろうか、海水が渦を巻いて襲いかかって来たのだ。そして、人も家も島も、一挙に飲みこんでしまったのである。やはり云い伝えは本当だったのだ。島の沈んだあとに小島が二つ、月に照らされて残っていたと云う話。