1926/大正15年 横浜に生まれる。

鎌倉アカデミア演劇科一期生。

同窓の前田武彦、いずみたく、らと共にアマチュア劇団「小熊座」を結成し、児童劇・人形劇等を巡回公演する。

1951/昭和26年
梅田晴夫・内村直也らの「芸術協会」に役者を目指して参加、演劇界で生きていくことを決意する。


1952/昭和27年
2月16日「芸術協会」の第1回公演(於:千代田生命ホール)で「メデー」の舞台装置を担当、演劇のプロとしての道を歩みはじめる。

NHKの実験放送シルエット「くもの糸」を演出・製作・上演。

「くもの糸」上演映像のワンシーン

1953/昭和28年
「劇団かかし座」創立。以後かかし座にて創作活動を行なう。

NHKの専属劇団として,テレビ影絵劇を上演。
「ルパンの奇巌域」,「くもの糸」,「アラジンと不思議なランプ」,「ブレーメンの音楽隊」,「杜子春」,「白雪姫」,「家なき子」,「アルプスの少女ハイジ」など連続番組を演出・制作。
脚本・演出・影絵など多方面にわたっての創作活動に活躍。
1957/昭和32年
「走れメロス」で芸術祭参加。

長篇影絵映画「アリババと40人の盗賊」を自主製作。

1960/昭和35年
コマ撮り人形撮影装置を発案,特許をとる。
以後NHKより学校放送、人形劇番組,33年開局のNETより「私達の道徳」,「のびる仲問」など数多く制作・放映。

1964/昭和39年
呼び掛け人六人(後藤泰隆、須田輪太郎、藤城清治、森 昌二、土方重巳、川尻泰司)のうちの一人として第1回専門人形劇人懇談会を開催。

1966/昭和41年
第2回専門人形劇人懇談会開催、 人形劇人協会(仮称)設立世話人会の発足を決める。
設立世話人の一人として精力をそそぐ。

1967/昭和42年
人形劇人協会初代理事長に就任。

1968/昭和43年

本格的舞台公演開始。「わらべ唄十二ヶ月」,「野ばら」,「マッチ売りの少女」を制作。
のち「杜子春」,「きかん車やえもん」,「耳なし芳一」,「安寿と厨子王」などを舞台用レパートリーに加える。

人形劇人協会事務所を新宿区御苑前の「かかし座」内に移転。(〜1975年)

1973/昭和48年
NHK新年特別番組「竹取物語」を特殊技術をふんだんに使って製作。フランスのモンテカルロ国祭コンクールに英訳で出品、第2位となる。
1975/昭和50年
再発足した「日本人形劇人協会」(会員数69名)の常任理事に就任。
(1979年に亡くなるまで在任)

1976/昭和51年
TBSから「ちよ太郎こども劇場」で昔話シリ一ズを放映。

1977/昭和52年
上記昔話シリ一ズが、フランスを始めヨーロッパ各国へ輸出され好評を博す。

1978/昭和53年
「ちよ太郎こども劇場」で「イソップ物語」シリーズ全71話を放映。
同時に主婦の友社より絵本として出版。(イソップ寓話をこども向けに、これだけ多く紹介したのは日本ではじめてである)

イソップ物語のオープニングソング「イソップ・ソップ」を作詞。日本ビクターよりレコードが発売される。

テレビ朝日の「とぴだせ!バンポロリン」一10月の歌「いってしまったアッコちゃん」を作詞。日本コロムビアよりレコードが発売される。

1979/昭和54年
2月14日テレビの「イソップ物語」撮影完了。

絵本の「イソップ物語」最終巻刊行。


2月16日早朝,急逝。
(4月5日、「イソップ物語」を絵本付6枚組LPとして完全レコード化。フィップスより発売)



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