【二風谷での3日間日記】
「ケト゚ペカムイの槍」班・班責 西垣勝

8月30日(土)
前日函館で公演を終えた私達はその日は函館で体を休め、30日の朝、明後日の1日に平取町の貫気別中学校で公演を行う為、平取町二風谷へと向かった。
二風谷とは「ケト゚ぺカムイの槍」の訳・監修をしていただいている萱野茂先生がいらっしゃる所であり、何よりこの物語の舞台が二風谷である。
私は二風谷を訪問するにあたって楽しみにしていた事がいくつかあった。
私達が二風谷を訪問するとき必ずお世話になるのが二風谷荘という宿である。かかし座は昔「木彫りのオオカミ」というアイヌの物語を上演していたのだが、その頃からのお付き合いなのでかれこれ15,6年お世話になっている。そこには優しいお母さん、美しい娘さん、豪快で楽しいお父さんがいらっしゃって、いつも私達を暖かく迎えてくれるのだ。近くにある平取温泉で体を癒し、その後で宿の夕食を頂くのが一つの楽しみである。新鮮な野菜に、食べても食べても出てくる肉。日頃ダイエットには人一倍気を使っている私の鉄の意志をも溶かす、絶品の美味さであった。本当に都会では味わえない美味さである。

8月31日(日)
少し遅い朝食(またこれが美味いんだ。特にイカの塩辛は最高)をいただいた後、新人2人はアイヌ資料館や沙流川博物館などで見学・勉強し、女性陣はアイヌの刺繍のやり方を教わったりして、それぞれが1日を楽しんだ。
私も昨年アイヌ資料館で勉強させていただいたのだが、今年も時間がたっぷりあるので見学することにした。館内にはアイヌ語の発音が書いてあるコーナーがあり、今年はそれを会得し劇中に活用しようと意気込んだ私は、色々と教えていただき意気揚揚と資料館を後にした。だが、それが後々大変な事態を招くとは、その時の私は想像もしていなかった。
夕方になり例のごとく温泉に入り、夕食をいただいた。その日は前日の焼肉と違い、魚貝類の食べ放題であった。ニシン・イカ・赤貝にホタテ等を前にして、私の鉄の意志は前日同様に砕けていったのは言うまでもない。
さて、明日はいよいよ貫気別中学校での公演である。そう思った私はいつもより早く寝る事にした。

9月1日(月)
前日より早い時間に朝食をいただき、私は外に出た。昨日のどんよりとした曇り空とは打って変わり、夏の日差しを思い出させる快晴だった。
普段私達は主に小学生に芝居を見せているのだが、その日は中学生に見せるという事と、何よりアイヌの皆さんに見ていただくという事で、メンバーはいつもより緊張していた。だが一番緊張して落ち着かなかったのは、私であった。私はいつも以上に緊張した状態の中で舞台に上がろうとしていた。
13時になり中学生28人、小学生6人、そして地元の方々が続々と体育館に入ってきた。その中にはかかし座の代表と、この舞台の演出家の太宰先生、そして萱野先生のお姿もあった。
13時20分。5分ほど遅れて公演は始まった。音楽が流れ始め、影絵遊び、手影絵の動物達、手影絵のワークショップと順調に上演は進んでいった。小学校公演ほどではないにしても体育館全体に巨大な手の影が映ると会場は盛り上がり、手影絵の動物がスクリーンに映ると会場はどよめいた。手影絵のワークショップでも少し照れながらも中学3年生の男の子が舞台に上がり、一緒にふくろうの手影絵を作って遊んだ。小学生、特に低学年ではなかなか形を作るのが難しく、苦戦しながらやっているのだが、さすがに中学生になるとみんな上手く、美しい形を作っていた。
アイヌの踊りを始めるキッカケを間違えたり、上手く笛が鳴らなかったりと、ミスは色々とあったが、舞台は進んでいった。カリプペカプというアイヌの遊びの1つを舞台で行い、観客の何人かを舞台に上げて一緒に遊ぶコーナーがある。小学校ではみんなが手を上げて、みんな舞台に上がりたがるのだが、今日は中学生と大人がほとんどである。誰も手を上げないのではないかと心配していたが、そんな心配は無用で、舞台に上がってカリプペカプをしている生徒を、みんなは冷やかしたりして楽しそうに見ていた。
カリプペカプも終り、いよいよ物語に入った。私には話の冒頭で客席に向かってアイヌ語を説明するシーンがあるのだが、そこで本日最大の危機が訪れようとしていた。私はそのアイヌ語を昨日資料館で教わった発音で語り、良い所を見せようと考えた。だがそれが大きな落とし穴であった。そのアイヌ語を言った瞬間、わたしの頭の中は一瞬にして真っ白になってしまった。そうなっては発音どころの話ではない。私は必死に頭の中で軌道修正し、何とか軌道に戻す事が出来た。おそらくその時間は2秒〜4秒くらいだとは思うが、私には大げさに言えば永遠に感じられるぐらい長い時間だった。一夜漬けで出来るほど甘くはなく、罰が当たったのだと思い、私は猛烈に反省し後悔した。今考えても恥ずかしい限りである。そんな私に構わず舞台は進んでいった。
私はこの芝居では物語の語り手である。その為、客席を見渡せる位置に立つ事が多い。通常体育館で行う公演の場合、観客は椅子を使わず床に座って鑑賞する事がほとんどなのだが、今回の貫気別公演では全員イスに座る事になっていた。男子生徒は後方に陣取り、足を開き、ポケットに手を突っ込んだり腕組みをしたりして見ている生徒が多かった。ところが物語が進むにつれて、そういった生徒たちがポケットから手を出し、背筋を伸ばし体を前にして舞台を見始めた。それを見た私は本当に嬉しく思い、色々とミスした事などすっかり忘れて舞台に集中していった。
それから後の舞台は無事に進み、14時40分終演を迎えた。私達は萱野先生宅にご挨拶に行くため、すぐ舞台の撤収に入った。撤収も半ば終わり、私は職員室にご挨拶に行った。先生方には大変喜んでいただき、校長先生も「生徒がこんなに静かに集中して見ている姿を初めて見た。本当に生徒は良い経験をした」と感激されていた。
職員室から体育館に戻る途中、1人の生徒が声をかけてきた。彼はカリプペカプで生徒代表として舞台に上がった、赤い帽子をかぶった一番目立つ生徒だった。彼は私に「あまり期待してなかったけど、すげぇ面白かった。ありがとう」そう言って走っていった。体育館の扉の所には、私服に着替えた女生徒2人がわざわざ私達を見送りに来てくれていた。2人もまた「つまらんと思って見てたけど、本当によかった。面白かった。みんなも言ってたよ」そう言ってくれた。我々の仕事は華やかに見えて、実は過酷な肉体労働である。実際は大変で、辛い事の方が多い。けどそうした言葉や激励の手紙をもらうと心から本当に励みになり、また明日から頑張ろうと思うのだ。彼女達と野球部に見送られ、私達は貫気別中学校を後にした。
萱野先生は私達を暖かく出迎えてくれた。先生も大変喜んでおられるご様子だった。奥様もわざわざ私達の為にトマトやトウモロコシ、かぼちゃを蒸かした料理を出してもてなしてくれた。先生の色々なお話を聞き、私達はお宅を後にした。

次の公演地である岩見沢に向かって私達は移動をしていた。トラックの窓から流れる風景を見ながら、私はこの3日間の事をゆっくりと思い返していた。