【中国公演記録】 「お星さまの色えんぴつ」班 班責:井ノ上聖之
2005中国唐山国際皮影芸術展演に日本代表として参加(かかし座ニュース)

 小雨模様の空の下、送迎ワゴン車の窓から見えるのは一面のトウモロコシ畑。その合間に朱色の屋根は民家であろうか?
北京空港から約2時間かけて会場となる唐山へ向かう車内は、ひと時の安堵感による眠りに包まれる。
 2005年9月15日、成田空港9時30分発 チャイナ航空 CA422便は12時05分に北京空港に着陸。狭い座席のためか、それとも本当に実現してしまった中国公演の期待と不安のせいか?3時間のフライトでは機内で眠ることが出来なかった。  


「パパーン!ビビィー!」唐山北インターから一般道に降りると賑やかな車のクラクションで目が覚めた。高速道路での運転も荒っぽいと思っていたが、一般道に入ってからはさらに激しさを増した。
車はクラクションをかき鳴らしながら無理矢理にでも先へ行こうとする。一般道はそれらの車に、危険という感覚がマヒしているような歩行者が追加されるので、道路はグチャグチャ…メチャクチャである。いや、そう見えるのは日本人だけかもしれない。
そう…ここは中国なのである。


 午後4時過ぎにこの期間宿泊する「唐山飯店」というホテルに到着、途中の街並から比べるとかなりリッチなホテルに見えた。(実際この辺ではハイクラスのホテルらしい)
部屋はシングルで窓辺に小さなテーブルがあり、その上に果物を入れた籠がのっている。ベットも大きくゆったりしているので気持ちが良い。
小休止のあと荷物を置いて5時30分にロビー集合、ホテル内のレストラン(唐山ではNo1らしい)で歓迎のレセプションが行われる。

店内には国内・海外あわせて22団体約300名が集い、「2005年 中国唐山国際皮影芸術展演」の開会が宣言された。
この時点で我々かかし座一同は「こんなに大規模な大会だったの?」と、社長をはじめ全員が予想以上の大きさにびっくり! 舞台監督で入った齋藤浩樹氏は「こんな話聞いてないよ〜、後藤社長にちょっと手伝ってって言われただけなんだけどな〜」とブツブツ。
そんな齋藤氏に後藤社長はニッコリ微笑んで「よろしくね!」と得意のスマイルを決めた。

後藤社長が、この大会にかかし座を推薦してくれた片桐さん・通訳の久保さんらと忙しく挨拶回りをしている間に、他のメンバーは円卓いっぱい出された料理をたらふく食い漁り酒を飲んでいた。齋藤氏は「このあと仕込みなんか出来ないよ!」とグラスを片手に叫んでいた。それにしても料理の皿がどんどん積み上げられていくのは圧巻だった。
 「もう食いきれねぇ〜」とお腹をなでていると、今度は野外の特設会場で大会のオープニングセレモニーがあるとの事で、レストランでの宴会をお開きにして全員店を出た。

外はあいにくの雨、レインコートが配られ歩いてイベント会場に向かう。
今回は影絵の大会と合わせて陶器の博覧会も開催されるとあって、会場の広場はこの雨のなか沢山の人で溢れていた。
私たちはチケットを購入した一般客の合間をぬって何とか指定席へたどり着くが、傘の波に前方をふさがれて何も見えない。大太鼓やオーケストラがのっている舞台は、音と華やかな照明が傘と傘の隙間から漏れて見える程度だった。

雨は一向に収まる気配はなく、ましてや前へ前へと押し寄せイスの上に立ち上がる一般客のメチャくちゃな鑑賞態度は、来賓席をも占領する勢いで悪化していった。

「もう帰りましょう!」の声を聞いてかかし座一行はサッサとホテルへの道を急ぐ。しばらくすると、後方から待ってくれと言わんばかりに雨の夜空に大輪の花が咲いた。
「ピュ〜ン…ドンド〜ン!」「ドォ〜ン!…パラパラパラ…」この花火は中国製だろうか?などと考えながら、しばしショーを楽しみホテルの部屋に戻った。

ベットに飛び込み「あぁ〜今日はこれでおしまい!おやすみなさ〜い。」といきたかったのであるが、残念ながら今日はこれからが本番!明日からの舞台の仕込みが待っているのであった。


 私たちは小休止の後、夜10時に会場となる「渤海影劇院」という映画館兼劇場の建物に入った。 会場の舞台は予想していた以上に天井が高く、広く(間口10間・奥行き8間ぐらいか)そしてボロ…いや歴史が感じられる場所だった。ステージと客席の間にはオーケストラピットもあったが、最近使用された形跡は全く無い。

私たちはまず日本から送った荷物が無事に届いているか確認した。「全部あります!」の声に一安心、さあ荷物を解いて取り掛かるかという時に舞監齋藤氏の大きな声が聞こえた。
何かと思い聞いてみれば、明日の午後2時から6時までは映画の上映があるので舞台は使用出来ないとの事。今日はドロップだけ吊って帰ろうとしていた齋藤氏とかかし座一同は唖然とした。
かかし座公演の当日に映画の上映があるとは主催者側も聞いていないとの事で、しばし中国語が熱く飛び交った結果、映画の上映を中止することは出来ないので、仕込んだ後また映画のスクリーンが降ろせるように舞台上を一部空けて帰ることに決まった。
「了解しました! それでは良い公演が出来るように私たちも頑張りますので、みなさんもご協力お願いします!」という舞監齋藤氏の力強い一声に全員が動き出した。

大黒幕や袖幕のバトンの吊り変えなど、小屋付の技師であるハク氏らの協力のもと仕込みが進む。かかし座は問題となっていた電源(変圧器持って来て正解)と音響が無事にセッティングでき、会場のスピーカーから音が出たときは、出発前に変換器具を貸してくれた音響「ふおるく」のワル(都藤さん)が、可愛い天使に思える程うれしかった。

あとは照明が形になれば一段落と思っていたら齋藤氏が苦戦している様子。どうやら灯体の数はあるが使えるのは何灯も無いらしく、さらに調光卓の調子が悪い為フェーダーによっては下げるとチカチカ点滅する始末。齋藤氏は頭を抱える。


▲深夜の仕込み作業1
 (脚立に注目)

▲深夜の仕込み作業2
そんなこんなでドッタンバッタン・ピーピーガーガーやっておりますと時計を見ればまもなく午前3時、一応の形は出来たので後は明日にして(正確には7時間後)ホテルに戻ることになった。ハク氏をはじめ小屋の方々、片桐さんに通訳の久保親子、後藤社長が昔お世話になった天津のガオ氏、みなさん遅くまで本当にお疲れ様でした〜。

外はまだ雨、タクシーでホテルに戻り明日の出発時間を確認して解散となった。
こうして長かった中国での1日目は、ようやく終了したのである。

▲会場の渤海影劇院の舞台にきれいに仕込んだ「みなみのうみのおとぎばなし」

 9月16日(中国滞在2日目) 今日は午前10時から午後1時30分までの3時間30分と、午後6時から開場時間7時までの1時間が我々に許された時間だった。
雨も上がり10時過ぎに会場に入ると、急いでスクリーンやパネルを定位置に移動し絵あわせ・音響チェックを行う。 広い舞台を見ると、アーチドロップや椰子の樹のセットを持ってきて正解であることが分った。

予定では12時から通訳の片桐さんによる中国語を入れて初めての通し稽古なので、スクリーン裏プロジェクター下手側に片桐さん用のマイクと机をセッティングした。はたして演技を見ながら生の通訳を入れるという大胆な試みは成功するであろうか? また、キャパ800の席が満席になるかもしれないとの事で、舞台前とスクリーン後ろに拾いマイクも急きょ設置した。

照明の方はといえば、9本フェーダーがあるのに使えるのは2本だけ。例によって同じ位置にフェーダーを上げても明るさが変わってしまうので、あとは神様にお祈りするしかない。
さて12時、いよいよ音声多重・日中二ヶ国語影絵劇の通し稽古がスタート!
オープニング手影絵のシーンから片桐さんの中国語が入る。(テーマソングを訳しているらしい)そこまでは順調だったが、問題はお話しに入ってから起きた。

これまで3度、片桐さんにはかかし座で「みなみのうみ」の稽古に立ち会って頂いたのであるが、実際マイクを使って中国語のセリフを言ってもらう事は無かった。それは初め、かかし座の役者の言うセリフの合間に短い中国語をはさむ程度なので、いつも通りに上演して下さいと言われたからであった。しかし短い中国語だけで説明するのは無理である、当然役者のセリフと重なるところは出てくるはずで、ズバリそこが大きな落とし穴となってしまった。
かかし座の役者同士が片桐さんの中国語が入ることによって、いつもの間合いでセリフが言えなくなってしまったのである。しかも中国語の音量が大きいため日本語のセリフが聞き取れず、役者達のコミュニケーションが上手くいかない場面が出て来てしまった。

約50分の通し稽古が終わってからミーティング。片桐さんのマイクの音量を下げられないかという問題は、他の2本のマイクとのハウリングは押えるようにするが、片桐さんの中国語をもっと前面に出した方が観客側としては分りやすくなるという意見でまとまった。 
かかし座の役者たちは、より「片桐さんのセリフは耳に入らないもの」として上演しなければならない状況に追い込まれたのである。

昼食を終えて一休み。通し稽古の不安を残しながら夜7時30分、ついに劇団かかし座初の中国公演「南太平洋過去的故事/みなみのうみのおとぎばなし」の幕が上がった!


今回の大会では、かかし座以外のどの劇団も中国式と呼ばれる手法で影絵劇を上演していました。中国式とは、スクリーン裏上部に数本束になった蛍光灯を吊り、山羊の皮などをなめして細工した人形をスクリーンに押し当てて、人形のみの影を映し出す手法です。
ちなみに、昔は数本の芯を持った専用のランプの明かりで上演していたそうです。

かかし座の表現方法はこれとは違い、ハロゲンランプやプロジェクターなどの光源とスクリーンの間に、基本的に平面の人形や手・身体を使い映し出します。中国式と違って使い手の持つ操作棒などが映ってしまう点もありますが、スクリーンに押し当てない分、使い手と人形の動きに自由さがあります。
そのせいもあってか、劇団かかし座の影絵はかなり新鮮に見えたらしく、とりわけ手影絵に対する反応は大きいものがありました。

さてさて本編はというと、手影絵のオープニングは何とかこなし順調なすべり出しかと思いきや、スクリーン前での語り出しをいきなりミスしてしまった。客席からは笑い声が聞こえたが挫けず本編に突入!「パプアのはじまり」「はたけのバナナはだれのもの」を終え、ワークショップでは久保蘭さん(中国育ち、久保ママの愛娘)を交えて、お客さんと一緒に手遊びを楽しむことが出来た。かかし座の役者が動物の名前を中国語で答えるたびに、客席から笑いが起きたのが印象的だった。
「大ザメとしょうねん」も何とかこなし、記念的中国公演の初舞台は終了したのである。

終演後に通訳の久保ママから、2つ目の「はたけのバナナ…」に入ってからお客さんが何人か帰ってしまった事を聞かされた。なんと久保ママは帰ろうとする人たちの腕をグイッと捕まえて「何で帰るの?こんなに素晴らしい芸術的な影絵なのに何で!」と言ったかどうかは知らないが直接聞いたそうで(ここが久保ママの凄いとこ)、いずれもお年よりだったそうであるが、「技術は良いが何を言っているのか分らない」事が原因と分った。
「はたけのバナナ…」は登場するサルとシカのセリフが掛け合うため中国語をはさむのが難しく、逆に日本語を聞かせる形式になっていた。しかし、皮肉なことにそれが裏目に出たのである。
終演後のミーティングで、明日は「はたけのバナナ…」も中国語をメインで、片桐さんには急遽セリフを増やして頑張ってもらう事になった。

片桐さんは中国で30年ほど皮影戯の役者を経験し、日本でも3年の実績がある女性で、「中国の影絵の世界で私を知らない人はモグリで〜す!」とニッコリ笑って言ってしまう程のお方であった。事実この大会で、彼女と一緒に挨拶回りをしていた後藤社長はヘトヘトになっていた。
そんな片桐さんのセリフはお話の進行とともに、熱く・表情も豊かに・より声のヴォリュームも大きくなって・・・、かかし座の役者もある意味大変だったのであります。(笑い)
こうしてハラハラドキドキの中国公演一日目は終了した。


 9月17日(中国滞在3日目) 今日は午後5時30分から夕食をとって6時過ぎに会場入り、それまでは自由行動であった。

午後7時に開場、公演2日目は昨日の一般客と変わって関係者のみとの事。子供たちはいるのかと心配していたが、客席からはヤンチャそうな声が聞こえて来る。
今日は開演前に劇団かかし座後藤社長の挨拶あり、スクリーン裏より少々緊張気味のうしろ姿を見送った。

無事にスピーチ終了、そのあと久保ママが客席に前に詰めて下さいと呼びかける。
その甲斐あってかオープニングから二つのお話し、ワークショップを挟んで三つ目のお話しと、客席と舞台とがとても良い感じで進んでいった。
とくに心配された二つ目の「はたけのバナナ…」では、昨晩遅くまで中国語のセリフを新しく台本に書き加え頑張ってくれた片桐さんのおかげで、席を立って帰る人はいなかった。

エンディング終了後ステージは大勢の関係者で一杯になっていた。齋藤氏やガオ氏らが舞台の中に入らないように必死に守っている。他の公演では、本番上演中にでもドカドカ舞台に入ってくるのが普通らしいことを後で知って驚いた。日本では(中国以外では?)信じられない光景ではなかろうか。
ステージ上では入れ代わり立ち代わりの写真撮影がなかなか終わらなかった。

午後9時頃、ようやく仕込み着に着替えて、今日最後の仕事のバラシと荷造りに取り掛かる。次の劇団の仕込みまであと30分だったが、テキパキと荷物を搬入口まで運び出し舞台上を空け渡した。あとは荷物を、写真とリストを見ながら日本から送られた状態に梱包し直しだ! 薄暗い場所に梱包材料の乏しい中、かかし座一同は何とか形に仕上げることが出来た。 その直後5〜6人の男達が搬入口に現れる。 日本ではフォークリフトで積み込んだが、ここでは男達が担いでトラックに積み込むのだ。
「無事日本に荷物が届きますように!」とトラックの出発を見送ってから、私達は着替えて会場を出た。

終演後はドタバタと慌しく余韻も何も無かったが、とにかく2日間の中国公演は終了したのであ〜る!(^。^;)

▲劇場前の記念撮影

翌日からは、2日間の疲れを休める間もなく午前9時30分からパトカーに先導されての市内観光。さすがは天下御免のこの車、あのメチャクチャな交通状態の中を赤信号だろうが歩道であろうが「どけどけどけぇ〜っ!」てなもんである。

また唐山は1976年7月28日に震度9(?)の大地震で、約50万人が死亡したといわれる大震災で有名な場所だった。野外でのオープニングイベントが開催された会場は、その記念館のある公園だった。また、石炭・鉄鋼などの工業地帯でも有名らしい。

その次の日は、影絵の大会と同時に開催された陶芸の博覧会にも案内して頂いたが、きらびやかな細工技術と美しい色調は「さすが中国!」という感じで、その高い技術と文化は日本の職人や私達の生活に受け継がれているのかな?などと感心しながら歩きまわった。

最終日、初日から帰る日までお世話になったお父さんのツォー氏は、現在も現役バリバリの京劇の役者である事が、唐山最後の宴の席で判明し驚いた。ツォー氏は「お疲れ様でした」という想いを即興で唄ってくれたのであるが、その声には京劇独特の美しさを感じた。
また、公演会場でお世話になったハク氏も若いころはブイブイいわせた役者だったそうで、舞監齋藤氏の奥様アイコさんは「惚れそう〜」と言いながら、旦那そっちのけで何枚もツーショットを撮っていた。


さてさて、唐山での五日間はあっという間に過ぎてしまいました。かかし座にとっても自分にとっても、「こんな素敵な人たちとの出会い」を糧として、より魅力的な舞台が上演出来るよう成長していきたいと思います。