後藤 圭
(ごとう けい)
劇団「かかし座」代表・演出家、プロデューサー。1955(昭和30)年東京に生まれ、14歳より横浜に住む。79年父・後藤泰隆の急逝に伴い劇団「かかし座」を継ぐ。TV放送用影絵映画、影絵劇など影絵作品多数。著書「おもしろ影絵ブック」(PHP研究所刊)、「かげえを作る」(大月書店刊)。財団法人神奈川県芸術文化財団 評議委員/玉川大学芸術学部 講師/社団法人横浜演劇研究所 事業部。影絵劇を現代の舞台芸術として確立することが、当面の目標。

 

若い日の私
父の意志継ぎ「2つ目のマッチ箱」積む
(毎日新聞、91年10月16日掲載)

私は現在「劇団かかし座」という主に影絵の芝居をする劇団の代表をしておりますが、こういうハメになった主たる原因は、私がかかし座の創立者(後藤泰隆)の一人息子だったということによるのです。

私は実に変わった家に生まれたものだ、と幼いころからよく考えたものです。

しかしそのことを同時に誇らしくも思っていました。テレビでもかかし座の影絵はとても頻繁に放送されていたし、私自身も子役でスタジオに連れていってもらい、活躍していた歌手や俳優の人たちにまざって仕事(?)をしたりもしました。

そして当時は劇団と自宅が一緒でしたので、よく劇団の稽古(けいこ)場で遊んだものです。その稽古場の大きな窓には、いっぱいに自分の任務が終わった様々なお話の主人公たち(もちろんシルエットの人形)が張りつけられていました。それを見上げる度に幼い私はそのたくさんの主人公たちが今にも動き出すのではないか、という感覚におそわれたのをよく覚えています。

さて父は、というと朝は寝ていて、夜子どもが寝る時間までにはめったに帰ってこないものですから、幼い私にとってはなかなか理解出来る存在ではありませんでした。

しかし物心ついたころから十数年の間かかし座と一つ屋根のしたで暮らしていたことは、結局今の私にはこの上ない体験だったのだと思います。

ある時、まだ幼かった私をつかまえて父がまじめな顔でこんなことを言ったことがあります。

マッチ箱を私の目の前に二つ積むと、「なあ、圭スケ(私はそう呼ばれていました)、こんなに小さな箱でも一つよりは二つの方が背が高くなるだろう。下の箱はな、これはパパだ。パパが土台を作るんだ。そしておまえは上の箱になるんだ。土台を作ってあれば次の箱を乗せるのは割にやさしい。土台を作るのは大変なんだ……。まあ、よく覚えておけ」。

大体そんな内容でした。当時私は五歳か六歳だったと思うのですが、この一言だけは今でもなぜか鮮明に覚えています。そして父が自分の仕事の継承について私に話をしたのは、後にも先にもこれ一回きりだったように思います。

私も長ずるに及んで次第に父がけむたくなっていましたし、劇団の様々な実態が見えてくるにつれて、私はかかし座にタッチしていくのを避けようと思うようになってきました。そして音楽の大学に進んだ在学中、父の急逝に遭うのです。

いろいろあったのですが結局私が劇団の後を引き受ける決心をしたのも、なんとかやってこれたのも、こうした幼児期の環境や父の一言が意外と大きかったのかも知れません。

このわずか十余年の間にかかし座は大きく様変わりをし、作品の傾向もかなり変わりましたが、最近思い返してみましてやはり自分はマッチ箱だと感じています。父の時代からの劇団員がいて、父と親交のあった方々の力を借りて仕事が続いています。

しかし二つ目のマッチ箱を積むのも(父は「~割にやさしい」と言いましたが)なかなか骨の折れる仕事ではあるようです。

わたしの雑文

○子どもにアートを届けると私たちの社会が良くなるわけ
「手話通訳問題研究」144(2018Summer)

○「Hand Shadows ANIMARE」海外公演雑感
「 青淵」No.797掲載 2015年8月1日発行

○影絵で遊ぶ
「演劇と教育」No.673掲載 2015年4月1日発行

○下呂温泉合掌村の影絵昔話館しらさぎ座 観光地・下呂市から劇団かかし座への委託事業の事例
(公益社団法人日本芸能実演家団体協議会「芸術団体の経営基盤強化のための調査研究—実演藝術各分野の基板と組織 2015—」 2015年3月発行)

○ART STAGE SAN招聘による韓国公演とW.S.
(アシテジ日本センター「アシテジ」No.128掲載 2015年1月発行 )

○「ANIMARE」ブラジル・ツアー

○APAP NYC 観て歩き
(アシテジ日本センター「アシテジ」No.125掲載 2014年4月発行 )

○Hand Shadows ANIMARE ヨーロッパツアー
(アシテジ日本センター「アシテジ」No.114掲載 2011年7月発行)

○常設公演と海外公演ー劇団かかし座近年の取り組みより
(児童・青少年演劇ジャーナル<げき>9掲載 2011年3月発行)

○シュべービッシュ・グミュント国際影絵劇フェスティバル
(「アシテジ」№.108掲載 2010年1月発行)

○日本初の「影絵劇常設劇場」開始!
(「人形劇のひろば」98号 2008年12月20日)

○影絵と役者 個性の競演
(日本経済新聞2007年11月2日(金)掲載)

○影絵劇祭見聞記
(アシテジNo.96 掲載 掲載 2007年1月発行)

○文化芸術の振興に関する基本的な方針の見直しについて
(「文化芸術懇談会 in 横浜」第2部 公聴会より 2006年6月13日)

○人物風土記~影絵を継ぎ、夢を追う~
(「タウンニュース:都筑区版」No.360 2006年2月10日)

○唐山の皆様へ~今回の皮影戯大会に関する感想他~
(「2005中国唐山皮影芸術展演」2005年9月24日)

○見たい!知りたい!演劇業界!悩まず進め!!
(週刊メールマガジン「演劇タイムズ」VOL.174 2005年7月25日)

○演劇祭・横浜アートLIVEの8年
(「テアトロ」No.750 2004年6月1日)

○影絵劇を語る
(「よこはま文化」第187号 2002年7月20日)

○影絵劇に取り組んでくれた劇団みくと倉吉の皆さんへ
(劇団みく「羽衣伝説」当日配付パンフレット 2001年9月9日)

○横浜の演劇人大集合!演劇センターをつくる
(「現代のエスプリ」第344号 1996年3月1日)

○戦後50年に思う
(「DDKだより」 第一同友会発行 1995年12月頃掲載)

○人形劇人の生活と意識‘92に寄せて
(「人形劇人」日本人形劇人協会発行 1993年頃掲載)

○横浜ものの影絵劇も
(「YOKOHAMA商工月報」 No.518 1993年5月1日)

○子どもへの手紙
(掲載紙不明 1990年頃)

 

 

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